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malefices COMPLETE RECORDINGS

マレフィス『COMPLETE RECORDINGS』発売によせて

コンプリート盤発売のお知らせ

マレフィス活動休止について

この2年間、僕も含め彼等ふたりの周囲の人間は、マレフィスの音楽活動休止が一時的なものであることを祈りつつ入れ代り立ち代り説得したり励ましたりしていた。けれどもそういった状況も含めふたりがとても疲れてしまっていたのは明らかだった。

結果的にマレフィスとしての約2年間は彼等にとってストレスフルなものだったし、実際プロのミュージシャンとして活動を開始した直後から戸惑いや悩みは尽きなかった。「日本の音楽界の状況とかしくみをまったく知らないまま、ある意味で無責任にその中で(マレフィスを)始めてしまった」と、慎重にことばを選びながらリュンヌはふりかえる。
たしかにふたりを取り巻く状況と当人達の感覚との間には大きな隔たりがあり、さしづめ価値観や美意識すらも違う異国の地に迷い込んでしまった密航者(Clandestins)に、彼等自身がなってしまったかの様だった。
そうした状況の中で活動を続けていくことが苦痛でしかなく、やめるつもりだと聞かされたとき、それが彼等の音楽に対する創作意欲の喪失をも意味するとは思っていなかったし、しばらく休むことで昔パリのアパートでデモテープを創っていた頃のような感覚を取り戻してくれれば、と期待した。考えてみると、音楽を創る事はふたりにとってとても個人的なものだったのだと思う。試行錯誤をくり返しながら音を重ねていく行為そのものが純粋に目的だったのであり(そうして録られたテープを別の友人がレコード会社に持ち込んだ事がマレフィスのデビューのきっかけになった)商品としてのCDを作るために、パリのアパートで既に完結した作業をキッチンもバスタブも無いスタジオの中でもう一度再現することは、彼等にとって想像以上に苦痛な作業だったのかもしれない。

今年6月、パリに発つ直前久しぶりにふたりに会った。タクの元気そうな様子を久々に見て(プロのミュージシャンだった頃彼はそれはそれは元気が無かった)やっと音楽活動再開を勧める事を諦める気持になった。
このページが更新されない事にやきもきしていた方や、いつ新譜が出るのかと問い合わせのメールをくださった方にとても申し訳なく思う。中にはたいへんな情熱を以てマレフィスを見守ってくださった方々も少なからずいた。活動休止という喜ばしくない事情をなかなか公表できなかったが、結局良いニュースをお届け出来なかったことはすごく残念だ。

マレフィスを知っている人や覚えている人がほとんど少なくなっていく中で(ふたりはむしろそれを望んでいるようにも思えるけれど)何かのきっかけで彼等の音楽について興味を持つ人がいるかもしれないので、暫くはこのページを残しておこうと思う。それにふたりはいつかまた以前の様に、毎日の生活の中で顔を洗ったりごはんを食べたりするのと同じように自然に音楽を創るようになるかもしれない。たくさんの魅力的な曲を書き、当時の貧弱な機材でも(といってもほんの何年か前のことだけど)とても素晴らしい音を録っていた彼等のことだから、そのときにはどんなものを聴かせてくれるのかがとても楽しみだ。それにそういうスタイルの方がふたりにずっと合っている。いつかこのページでもマレフィスの新曲についてお知らせできる日が来れば、と思う。

マレフィスとの出会い(ここにマレフィスのサイトがある理由)

昔、僕の両親が若くまだお互いを知らなかった頃のヒッピー仲間で、ふたりを出会わせた人がリュンヌのお父さんだった。誰からもムッシュウというあだ名で呼ばれるリュンヌのお父さんはイージーライダーっぽい風貌のユニークな人で、3人の子に各々レダ,リグ,リュンヌという一風変わった名前を付けたのはやまとことばを使いたくなかったから、だそうだ。ムッシュウははじめ子ども達を学校に通わせるつもりがなく、ことばが解らなければつめ込み教育されることもないだろうということで結局リセに入れた。
リュンヌとタクに初めて会ったのは1987年頃のパリで、たしか幼馴染みのレダのアパートでだったと思う。僕達はよく食事したり、時々一緒に演奏したりするようになった。タクは当時からギターが上手かったし、リュンヌは素敵な詩を書いていた。(ちなみに彼女のお祖父さんは詩人)
何年か後ふたりは日本に帰ってきて、パリ郊外の小さなアパートで録りためたというデモテープを聴かせてくれたんだけど、その出来には本当に驚かされた。彼等の作った曲が素晴しかったのはもちろん、質素な機材しか使っていないにも拘わらずとても音が良くて魔法みたいだった。今のようなデジタルレコーダーがまだなかった頃のことだ。(その頃の録音の一部をこのサイトでも紹介している)
彼等の曲が大好きになって僕は毎日そのテープを聴いていた。当時幸運にもそのテープを貰った友人達はみなそうだったと思う。そして友人のひとりがテープをレコード会社に持ち込んだことがメジャーデビューのきっかけになったというわけだ。